長崎絹業探究所
長崎絹業探究所は、
絹素材を中心に据えて、使い込む程にその特性を発揮する、
実用としての布帛を探究しています。
日本の近代化を牽引した日本絹業。
その桑畑に始まる産業(養蚕製糸製織・・・)は、
「多量」を最優先する時代を終え、
むしろ、どの様に残るか?残すか?を模索する時であるようです。
今ここに、
絹織物製造工程に於ける「素材の扱い」の見直しを図り、
日本産生繭の塩蔵を起点に、
長い間忘れられていた「絹素材の本性」を、使う方々に提案します。
一粒の繭から一筋の糸が始まり、
裂となり、
更に形を与えられて衣となり、
そして、
人が躰に纏う。
その用途から生まれる裂を私達は「帛」と総称し、
そして、
江戸鎖国期、長崎の要職「反物目利き・五か所商人」に鑑み、
その「長崎」を冠しました。
Quarity
例えば食材の保存方法(生・塩漬け・乾燥・・・冷蔵・冷凍・・)とか、料理で熱の加え方(焼・煮・蒸・・・)などがあるように、絹織物製作工程においても様々な工程及び技法があります。日常における、その実用を確保するためには、生の繭が絹織物製品になるまでの経過で、熱・摩擦・張力・薬剤などの過剰な負荷を控え、絹素材本来の特性を失わない様にする配慮が肝要です。特に、他の「短い繊維(綿麻)」などに比して、その比類なき「長さ」を誇る繭糸は、昔も今も宿命的に、ややもすると、つい作業効率に流れてしまいがちな現場が推測されます。故に今後は、「明治開国」以降になされてきた絹素材の生産効率管理とは異なった、新たな品質評価方法の確立が肝要であり、さらに、「作る側」のみならず、「使う側」も含めて、「新たな認識の交流」としての継続する循環回路の発見が求められる状況と思われます。、
流通する繭のほとんどは、熱風により乾燥させたものですが、その高温による素材劣化を避けるために、 当所は、塩蔵(生繭を密封塩漬け)することによって殺蛹後に、天日風干させて操糸工程に入ります。
作業効率に関わる最たる項目が、糸を撚り合わせる行為です。 所謂「撚糸」は、必要な糸の太さを確保するために操糸を終えた生糸を数本撚り合わせるわけですが、 操糸段階においても、ケンネルと呼ばれる装置を経ることで繭糸を縒(よ)り合わせることが常であり、 此のことは機械製糸であれ、手仕事一般の座繰り操糸であれ同じです。 その結果、丸味を帯びた生糸が織機に掛けられることになるわけですが・・・・ 当所は主に、その「ヨル」行為を一切廃し、平味の糸を用います。 現主流の全自動繰糸機・大正期の多条繰糸機・太繊度低張力繰糸機・・・・辿り着いたのが、座繰り繰糸機での毛付でした。
日本に保存継承される数百に及ぶ蚕品種は、世界に類いなきものではあると思いますが、長きに亘り、あくまでも生産効率を主眼にした品種改良の歴史も重なっており、イタズラに商品演出として蚕品種を謳うことには疑問を感じています。 ・・・・・つまり、 上述二つの項目など、製作全工程における一貫した品質管理の具体が前提になければ、本質に繋がる答えは曖昧だからです。 当所としては、これまで「シチリアのローザ・あけぼの・白銀・春嶺鐘月・錦秋鐘和」・・・現在は「ぐんま200」という次第ですが、養蚕農家との連携の上でしか成り立たないこのテーマは、やはり、「絹素材の本質」に直結するものであり、当所にとっても、今後の大きな課題です。
絹素材は本来、生成り(未精練)の状態では、その表面を膠質(セリシン)で覆われて、とても硬いものです。 一般には強アルカリでその膠質を除去(精練)します。 しかし、当所は、その硬い状態のまま、杵・槌などで打って繊維の分繊を促し、生地感触に腰を残しつつ柔らかみを得る方法を採用しています。 搗練(とうれん)・砧(きぬた)などとも呼ばれます 因みに、着尺の場合などは、「砧杵⇨湯水通し⇨風干」の工程を10回ほど繰り返します。 その間に、染色を施す場合は、先染と後染を合流させることによって、「生成り塩蔵繭が導く、絹素材特有の無地色の深味へ 踏み込みます。『砧杵染(ちんしょぞめ)」と名付けました。
History
HOP!
2020〜
2016〜
熊本地震で被災
新境地を求め熊本・緑川中流域へ移設
2008
2006
「長崎絹業探究所」設立
流通の川下から川上に向かう逆流の旅,
始まる。
2006
受賞と支援事業採択
2001
テキスタイルコンテスト入選
2000-2006
生糸(冷蔵繭多条繰糸)購入開始・・・年間100kg✖︎10年間
1997
1998
蚕糸業法の廃止
伴って「蚕品種指定制度」廃止
任意団体「長崎絹業探究會」として発足
「手仕事と機械仕事の棲み分け」をテーマとして、
「絹織研究所」を主宰する染織家との交流が始まる。