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  • 2023年3月7日

更新日:2023年3月26日


手前4綛は、未だ糊付けしていない分で、その先は糊付け終了分。

  • 2023年2月2日

更新日:2023年3月26日




2018年、「コロナ騒ぎ」が始まる前年のこと。


「面白い糸があるのだけれど、使ってみない?」と、

15年振り・・・と言って良いほど間が空いていた友人が、ひょっこりやって来た。


それは平たい、平味の糸だった。

一般に流通する生糸は、製糸工程のケンネル装置によって縒(よ)りを施した結果、丸味を帯びているのだが、これは糸道が違うのであろう。



その生糸の出所である糸商曰く、

ブラジルの製糸現場からの綛が、糸枠角でセリシン固着が生じているために、未だに次の段階に展開していないとのこと。


とにかく先に、織物を目指して進むためには、

綛を、一晩湯に漬け込んでセリシンを解した上で、繰り直さなければならないのだが、この状況を解決するためだけに時間と手間をかける職業人は直ぐにはいない。


およそそのような成り行きで、

自分自身が試してみるしか手立てが無い状況での糸繰りを始めたのだが、久し振りのことでもあるし、しかもこれまで経験したものより1/3ほど細いし・・・

果たして如何、相成りますことやら?



して改めて、

繭糸は「長いなが〜い長繊維」であることを、ツクヅク思い知った。

その対極に、「綜麻(ヘソ)繰り」と言うが如しである。


綿・麻・ウール・・・・・他の天然繊維は「cm」レベルであるが、

改良と称された挙句の繭糸長及ぶところ、1300~1500m・・・途方もない。


織物を成す上で、このツクヅク「長〜い」と言う特性、しかも引っ張りにもめっぽう強い繭糸は、古の人ですらその高い生産性に魅了されてしまったのでは無いだろうか?



そこで改めてハタ!と気付いたことがある。


これまでの当所は、「機械仕事と手仕事の棲み分け」をテーマとしてきたが、

実はこれは短絡であり、

取り敢えずの表面の目安にしか過ぎないのではないか?と言う問題だ。


つまり、人の美意識すら育んだ、

視覚或いは皮膚感覚を巻き込む絹織物の「怪しいほどの魅力」と、

先述のような、絹糸が持つ「宿命的な生産性の高さ」と言う、

次元の異なるこの二つの命題の混在は、

古の人々すら巻き込まれた「歴史的な混迷」なのではないか?と推測されるのである。


具体として製作技法などを遡るとき、

「産業革命」などと、動力源にスポットを当て、つい杓子定規な見方をしてしまいがちであるが、実はそれ以前の問題であって、

つい、例えば「易・楽・早」方向に流れがちな「人間の習性」などが、

常に技法の方向を決定づけてきたのでは無いだろうか?

実は、その結果としての「都合の良い品質」が各々の状況なりに生じていただけ。


と言うことは、

前述の、人の美意識すら育んだ素材としての「絹」。

解くと一反に還る衣服「着物」と言う「型」のなかで育まれた「絹」。

ひょっとして、

長い年月「手付かずの領域」が埋もれてしまっているかも知れないのである。


ならば、敢えて今に立脚し、

埋没した「絹素材の本性」を掘り起こし、

実用としての絹織物を、我々の「日々暮らし」に再構築できないものだろうか?


この「平味の糸」を、もっと追いかけてみよう。






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